オブラート

言葉をオブラートに包む、という言い回しがあります。(川津)

私が子供のころ、弟と2人で「オブラートだけで会話する」という遊びをしてみたことがあります。会話において角が立たないように話の核心をぼかし和らげる、あの「オブラート」の部分だけで会話をできないかという試みです。

たしか、うろ覚えですが、こんな雰囲気の会話になりました。

「あのー、あのことなんですが、別に今すぐ絶対にというわけでもないんですけれども、どちらかというと、ご存じのとおり、先日言ったような状況でですね、ぜひなんとか取り計らっていただけるとうれしいのですが、いかがでしょう、大変恐れ入りますが」

「ああ、はい、それはもうそれはもう。そのつもりではございますけれども、なにぶん、あれがこう、なんとも、ただまあ断言ができないというだけではあるんですけれども、そういう意味では、とても、なんとも言いようがないというあれでございまして」

「いえいえ、そんなあはは。こちらとしても絶対にというわけではありませんので、しかし、別にいいというわけにも行かないと言いますか、難しいと言いますか、どうかそこらへん加味していただきつつ、そちらのペースで、ただもちろん後に控えるものもありますから、なんとかそことの兼ね合いをですね、なんとかかんとかうんぬんかんぬん」

さて、誰にでも想像がつくとおり、会話はすぐに続かなくなりました。なので、このごっこ遊びもこれっきりでした。しかし思い出されるのは、当時の私がこの会話内容に多少の不満を感じていたことです。なぜかというと、オブラートだけで会話していたつもりなのに、なぜか少なからず「話し手の意図」が感じられる内容になってしまっていたからです。

先ほどの会話は、もちろん非常にあいまいなものです。仮にこれが、2人とも自分が何について話しているのかわからないというお間抜け極まりない状況だったとしても、成り立ってしまいかねないほどにあいまいです。ですが、それでもこの会話には次のような核心が存在しています。

「お願いしていたこと、ちゃんとやってね」

「ちょっと難しいかもしれません」

「それじゃ困る」

何の件かはわからなくても、伝えたいことそのものは、オブラートといえどもきちんと内包していたのです (余談ですが、ここで思い出すのは星新一のショート・ショート、『肩の上の秘書』です。会話のオブラートを逆に取り払うロボットの話でした)。

そもそもオブラートとは、気遣いであり、社会的な潤滑油でもありますが、それらはけして無意味なものではないということに、子供のころの私は気づいていなかったのだと思います。オブラートそのものにも独自の核心があり、意図があったのです。おそらく、「喧嘩をしたいわけではないんだよ」というような意図が。必然的に、オブラートに包まれるのは「そのまま言えば喧嘩になりかねないこと」となります。あのごっこ遊びの会話は、それが自然に内包された結果だったのかもしれません。

 

そういえば実際のオブラートも、薬を飲む辛さを緩和するための道具のように思われがちですが、その正体はれっきとしたデンプンであり、数百枚も集めて煮れば重湯くらいにはなるわけです。会話のオブラートも、それはそれで、相手の心を満たすために贈る立派なエネルギーのひとつなのでしょう。