[雑記] このからだを持っていけないんだ (たー)

緊急入院する前日の夜、彼の心臓は普段の倍以上の速さで鼓動を打っていた。(たー)

彼は20歳だった。京都の大学に通い、安アパートで下宿しながら授業と部活とバイトの日々を送っていた。
時代祭が終わって紅葉が始まるまでの無味な冷たさが大気に混じり始める季節だった。京都市内でありながらこれといった名跡のないエリアにあって賑やかさに縁遠い小さな大学だったが、その時期は11月3日の学園祭に向けて色めく空気が狭いキャンパスに満ちていた。

彼が所属していたクラブは大勢の前で重要な式典を催すことになっていた。その準備に部員全員が何日も前から準備と予行演習に精を出していた。彼は重要な役割を任され、連日早朝からキリキリ舞いしつつ、部活後はさらにバイトで深夜まで働く日が続いた。

11月2日。その日も真夜中過ぎまで働いて下宿に帰った彼は、翌日のために泊まりに来ていた自宅通いの友人に体の不調を訴えていた。いつもより妙に脈が速い。熱も少しある。たぶん疲れと緊張のせいだろう、ひょっとすると風邪のひき始めか、と自分で見立てを下して午前2時に床についた。

11月3日。早朝から最終チェックに走り回り、いよいよ本番となった。その直前にも彼は仲間に話している。心臓のドキドキがひどい。脈が異常に速い。しかし開始寸前で部員たちも緊張のピーク。全員の心臓が早鐘を打っていて、その言葉に特別注意を払う者はなかった。

同日正午過ぎ。長期間の準備の甲斐あって式典は滞りなく進み、予定時刻に無事にすべてが終了した。彼の心臓の本当の異変はここから始まる。

後片付けの最中、彼は脈が変わったことに気付く。胸に手をあてて椅子に腰を下ろす。朝のような頻脈ではない。むしろ妙に遅い。しかも、トントントン……トントントン……と間に変な空白が入る。疲労のせいか。一時的なものか。横にでもなろうかと考えているうちに、間隔が長く開き始める。「どうした?」と仲間が声をかける。「うん、ちょっと鼓動が」と返す間にもひどくなる。脈の空白時に目の前が一瞬さっと暗くなる。脈の空白と暗転が一致していて嫌な感じがする。そこへ通りかかった1つ上の先輩に友人が状況を説明すると、先輩は「病院に行こう」と即断。大学前の大通りで流しのタクシーを拾い、15分後には大きめの病院の待合室にいた。彼はそこで気を失う。

真っ暗だった部屋が徐々に明るくなるのに似た感じで、視界がゆっくりフェードインし、音が耳に届き始める。目を開いたままの長い暗転から戻ったのだ。自分の名を繰り返し呼ぶ声、のぞき込むマスク顔、その背景に丸い無影灯、天井。彼はいつの間にか処置台の上で仰向けに寝かされていた。着ていたトレーナーが白衣を着た人の持つハサミで今まさに切り裂かれている。

手術室だった。医師や看護師が手際よく、左の鎖骨あたりから体外式ペースメーカーの電極カテーテルリードを体内に挿入する。電位を直接心臓に与えるための措置だ。リードは先端にミクロのバルーンが付いていて、鎖骨下静脈の血流に乗って心臓に到達し、そこに留まって電気刺激を与えて心臓を動かす。カテーテルは挿入部位でしっかり固定され、文庫本ほどの大きさのペースメーカー本体は枕元に置かれた。

措置が終わると、彼は集中治療室(ICU)に移された。狭い空間にベッドスペースが3つあった。1つが埋まっていた。看護師たちが彼を真ん中のベッドに移動させた。意識はしっかりしていた。名前や住所などの確認にはっきり応えている。決して寝返りを打たないようにと厳命し、医師たちは離れていった。

しばらくすると、彼の両親と妹がICUに通されてきた。マスク、帽子、ガウンを着、母は泣き、父は呆然とし、妹は彼をにらみつけていた。彼らが出ていくと、代わって友人たちが同じ格好で入ってきた。皆、言葉を探しながら何か言って短時間で出ていった。

寝返りを打てない彼は身じろぎもせず天井を見つめて時間を過ごす。ベッドサイドモニターから脈拍が電子音として一定のリズムで聞こえてくる。心臓の音を機械が発しているのか機械が心臓に指示を出しているのかわからない。電子音が止まれば自分の死を意味することはわかる。胸の中の鼓動が異様に強く感じられる。全身が心臓であるかのような気がする。病院の匂いが鼻をつく。

しばらくすると、慌ただしい声とガチャガチャいう音がICUに運び込まれてきた。看護師の呼びかけ、患者らしき男のうめき声。一群は空いていた1つのスペースに収まる。彼は顔を動かさずに様子を聞く。どうやら男は交通事故に遭ったようだ。しばらくすると、人々は去り、苦しそうな声だけが残される。男はその後一晩中「痛い、痛い」と声をあげ続け、おかげで彼も眠れなかった。その夜のうちに、元からいた患者は静かに運び出された。数日後、彼自身もICUを出ることとなる。

完全房室ブロックだった。心房から心室に電気がまったく伝わらなくなる状態。原因は過労と極度の緊張による負担に菌の感染が加わったことと見られた。絶対安静と点滴で経過を見、体内式ペースメーカーの埋め込みも検討されていた。彼の父も母も妹も、さまざまな感情に襲われ葛藤しながら自身の人生の先も含めていろんなことに覚悟を決めようとしていた。

が、幸運なことに状態が落ち着き、彼は病棟の個室に移ることになった。危機は脱したと医師は言った。1週間後、彼は国立の専門病院に転院した。転院直後、ペースメーカー本体を首からぶら下げてベッドから出て歩き回っても大丈夫と告げられ彼は心底驚いた。しかし、リードがずれるのを恐れ、あまりベッドから離れなかった。

その後、模範的な患者とほめられつつ順調に回復を遂げ、1か月後には体外式ペースメーカーもはずれ、年末年始に外泊して実家で過ごした後、完治の末、めでたく退院した。振り返ってみるとあっという間の2か月弱だった。「彼」とは僕だ。いま思い返しても現実感がない。

 

入院中、死を感じることはなかった。周囲は覚悟をしていたようだが、本人はじきに治るだろうと高をくくっていた。本当に幸運なことに実際そうなった。死を身近に感じたのは、それよりもっと後、知人の自殺と、癌が発覚した父の急逝に際したときだった。前日元気だったのに今日は死んでいるということが受け入れられなかった。体はここにあるのに、その人がどこにもいないことに納得がいかなかった。

どちらも本当は死にたくなかっただろうなと思い、長く引きずった。寄せては返すプチ後悔に幾度も襲われた。自分以外全員死ねと念じたことはあっても自分が死ぬと考えたことはなかったが、それ以降は死が怖くなり、「死んだ後の無とはどんな感覚なのだろうか」をよく妄想し、自分がどこにも存在しないという実感をイメージしようとして果たせず悶々とした。

病院で気を失ったとき、ほんの短時間だが心臓の動きが止まった。その時間は「死んでいた」と言うには大げさだけど、もし心臓が再び動き出さなかったら、その時点から死んでいたんだと思う。けれどその間は何も見なかった。三途の川もお花畑も暗闇も何も見なかった。無だった。

信仰心がなく死後の世界も信じていないくせに、死んだらそれで全部おしまいというのも認められず、行き着いたのは死んだ瞬間に生まれ変わるという仕組みで、これが一番都合がいいのではないか、しかも生まれ変わる先は未来とは限らず過去もありうると考えれば無駄がないのではないかというアイデアが下りてきて、そうすると自分が死んだら自分の親や子や偉人や隣人に生まれ変わることもあって、とすると究極的に魂は1個で済むやんと真理を発見した気で妥協した。父たちも既に生まれ変わり、どこかで元気にやっていると思いたかった。

あるいは実はこれは今際の際に見ている邯鄲の夢の最中なのかなと思うこともあった。ときどき現実感がなくなることがあって、すべては自分が作り出した幻で、それにしてはよくできていると思った。結婚後、妻に「死んだ後の感覚ってどんなだろう」と話すと「夢を見ていない睡眠」と返されて、なるほどと妙に納得した。

今はあまり死について考えない。生のことを考える。きっかけの1つは娘の誕生だ。丸1日かかった難産に不眠で立ち会い、それまで無だった存在が今ここに出てきたのを見て感動し、死とは逆方向のあえかなる生を目の当たりにして人生観がまさに180度変わった。

また1つは、自分はもうこの生の主人公ではないと気付いたからだ思う。歳のせいだ。映画やドラマを見ても脇役に目が行くし、何より、友人や知人が脇役や裏方を見事に果たし生きる姿を愛するようになった。仕事をし、子を世話し、親の面倒を見、人を助け、時にマリアナ海溝より深いため息をついて日々を生きてる。泣いて笑ってケンカして、見てもらう側から見てあげる側にまわり、「お互い様」は万年赤字、割り切れないものを飲み込んで、ウスバカゲロウのような自分の時間を愛おしむ。未熟で不器用だったみんながほんとよくがんばってる。過去や未来と格闘し、正しさや複雑さに通せんぼされ、それぞれの役回りにそれぞれのやり方で折り合いを付けながら。誰かのために流すみんなの汗がいつか報われると信じたい。

まったく別の仕事をしていた十年ほど前は毎日が呪いと怒りに満ちていた。沈鬱と憎悪がぐるぐる渦巻いてた。それに比べれば今こんなふうに考えて書けるのも恵まれているしラッキーだと思う。素晴らしき助演勢の一員になれたことを嬉しく思う。井戸のそばで鈴の話をしながら同士と飲む酒のうまさよ。

でも、こどもたちは、それがそんなにも重大な問題だっていうことを、ぜんぜん理解できないだろう!