梅雨の長引くおり、みなさまいかがお過ごしでしょうか、嘉汕です🐸
雨と世相があいまって、個人的に生涯で一番の梅雨籠を迎えています。積んでいた本を読み進めたり、棚の奥にしまっていた本を読み返したり。「捗る」は前向きな言葉ですが、寝不足が捗るのはさすがに自戒しようかと。

ところで、『情景を微分する』という古くからの言葉があります。…ウソです、この間思いつきました。昔読んだ詩集かなにかの哲学書かで聞いた気がするんですが、すでにある言葉だったりするんでしょうか。せっかく思いついたので、今日はこの『微分』を軸に2つの分野のお話ができればと思います。すなわち、タイトルにある(そして個人的に溺愛している)『天文学』と『詩』です。

※「微分」というと数学を思い出してアレルギーを出す人が身近にいるのでことわっておくと、ややこしい数学ではなく、『細かく分析する』程度の意味合いでとらえていただければと思います。

まず天文学ですが、この翻訳という仕事に就く前まで、こちらの研究をちょびちょびとやっていました。つまり「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」とか…ではないですね。だいたいどれが北極星ですかまったく。「見えないものを見ようとして」という感じで、宇宙から届く赤外線~X線なんかを相手にしていました。望遠鏡、というか並外れた分解能のカメラで数十億年先の光を見ている、そんな感じで。

なかでも興味は分光、すなわち天体の光を波長単位に細かく分解し、調べることにありました。肉眼ではとうてい見えないような天体を、その発する光を『微分』することで正体を調べる。そして、ワープかなにかがないと到達できない世界の景色を理論をもとに描き出す。天文学が持つ『微分』の要素を言葉でまとめてみると、こうなります。

一方で『微分』には、こうした理系的な側面とは異なる意味合いもあります。それが文学、とりわけ詩における(心象)風景の微分です。言葉の数は世界の分解能…となにかの本で読んだ気が…いや、漫画か映画かも。とにかく、適当な詩集をめくってみると、そこには世界を分解する言葉があふれています。

色を表す言葉だけでも数百超、風や雲といったジャンル分けでも千以上。そうした膨大な言葉を詩人一人ひとりが独自の感性を駆使して、現実か虚構かは問わず、自分のとらえた世界の景色を言葉で微細に分解して表す。詩というものが持つ『微分』の要素をつたなくまとめると、こんな感じになりました。

こうして見てみると、天文学と詩はとても似通っている気がしてこないでしょうか。「機械」と「言葉」、「理論」と「感性」という手段の違いはありますが。『世界を微分して表す』という姿勢はどちらにも共通しています。…こうした姿勢は哲学や音楽など、実は日常のあらゆる場面に通じるのではないでしょうか。

ところで翻訳も、個人的には『世界を微分する』プロセスに感じられます。原文の文章を文法構造や意味構造、機能構造にしたがって微分し、解析する。そして、原文著者の描いた世界をそれとは違う世界の言葉で描き出す。文字で書き表してみると少し堅苦しいですが、これも一つの「微分学」、ですね。

なんとなく『微分』という言葉を軸にそれっぽい話ができたところで、最後にお気に入りの詩の冒頭を紹介して、筆を置きたいと思います。

何、あれはな、空に吊るした銀紙じゃよ
こう、ボール紙を剪って、それに銀紙を張る、
それを綱か何かで、空に吊るし上げる、
するとそれが夜になって、空の奥であのように
光るのじゃ。分ったか、さもなけりゃ空にあんなものはないのじゃ

『星とピエロ』―中原中也