南米チリの作家イサベラ・アジェンデ。その短編集『エバ・ルーナのお話』に、『二つの言葉』という短編が収録されている。この作品、仕事仲間や取引相手に大切なメールを書くときにいつも思い出す。ちょっと長いけれどご紹介。 (社長のハリー)

 

 

この作品は次の文章で始まる。

 

名前は暁のベリーサ、洗礼でつけられたものでも、母親がつけたのでもなく、彼女が自分で探し出して決めた名前だった。彼女は言葉を売って生計を立てていた。

 

ベリーサは凍りつくほど寒い高地から灼けつくような海岸まで国中をまわり、粗末なテントでさまざまな言葉を売って生計を立てている。彼女が村にやってくると、テントの前にはたちまち長い行列ができた。

 

5センターボですぐに覚えられる詩、6センターボでいい夢を見ることのできる言葉、9センターボ出すと恋文、12センターボだと仇敵をののしる言葉といった具合に、値段はきちんと決まっていた。

 

あるときベリーサの前に軍人たちがやってきて、「あんたに用がある」、それだけ言うと、ベリーサを連れ去り「大佐」の元へ連れて行く。大男の軍人たちがへりくだっているのを見て、大佐というのはひどく恐ろしい人物なのだと考えたベリーサ。しかし、大佐の声を聞いて彼女はびっくりした。耳に快い声で流暢にしゃべるその話し方は大学教授のようだった。
大佐はベリーサに頼み事をする。

 

「俺は大統領になりたいんだ」と彼は言った。

 

彼はそれまであの土地を駆けまわって空しい戦いに明け暮れ、どう言い逃れをしても勝利とは言いがたい敗北を喫してきた。だが、そういうことにもう疲れ果てていたのだ。

 

彼が現れたとたん、男たちは逃げまどい、女たちは恐怖のあまり流産し、子供たちはふるえ上がったが、そういうことにうんざりしていた。

 

だから彼は今までの独裁者とは違う、民衆に愛される為政者になろうと考えた。そのためには、次の大統領選挙で勝たねばならない。

 

そのために大統領として皆の前で演説しなければならないが、それを考えてもらいたい。

 

大佐は暁のベリーサにそう言った。
そこでベリーサは、自分の手持ちの言葉を選びに選んで大統領候補にふさわしい演説を用意する。

 

彼女は耳ざわりでぎすぎすした言葉やあまりにもけばけばしい言葉、使い古され手垢にまみれた言葉、できもしないことを約束する言葉、真実味を欠き、混乱した言葉をすべて削除し、男の理性と女の直感に訴えるものだけを残した。

 

彼女がその原稿を読み上げると、大佐もその場にいた兵士たちも一様に感動の表情を浮かべる。大佐はこれで選挙に勝ったも同然と考え、ベリーサに礼金を支払った。
それから3か月の間、大佐は大衆の前でこの演説を何度も繰り返し行う。

 

もしあの演説が輝くように美しくて腰の強い言葉で書かれていなかったら、たちまち使い古されてぼろぼろになっていただろう。

 

「演説でうたわれている公約がじつにはっきりしており、論旨も詩のように明晰だった」ので、聴衆は心を奪われた。演説が終わって大佐たちが去った後も、街には「夜空を美しく彩る彗星の記憶のように、希望の余韻が何日も空気中に漂っていた」。

紹介ここまで。・・・さてさて。自分がメールで書いているのは演説の原稿ではない。しかし、相手の心に届けたい、どうにか届いて欲しいと四苦八苦することはよくある。そんなときにこのお話を思い出し、「耳ざわりでぎすぎすした言葉やあまりにもけばけばしい言葉、使い古され手垢にまみれた言葉、できもしないことを約束する言葉、真実味を欠き、混乱した言葉」を使ってしまってはいないか、「理性と直感に訴えるもの」になっているかと、秘密の試薬みたいに、自分の文章に一滴垂らしてみるようにしている。

 

 

・・・ちなみにこの『二つの言葉』にはまだ続きがあって、ベリーサは演説のほかに秘密の「二つの言葉」を大佐にプレゼントする。

大佐はあの秘密の二つの言葉をくり返していたが、日を追うごとにその回数が増えていった。昔を思い出して弱気になったときに口にし、馬に乗っているときは心の中で反芻し、あの有名な演説をする前に思い浮かべ、ふと気のゆるんだときに噛みしめていたが、そんな自分に気づいて驚くことがよくあった。
大佐は例の「二つの言葉」が心に重くのしかかって、憔悴しきってしまう。そのため部下は大佐にその言葉を教えてくださいと頼むが、大佐は「これは俺のものなんだ」と譲らない。困り果てた部下は、ふたたび暁のベリーサを捜しに行く。暁のベリーサと再会した大佐は・・・とこの話は続く。興味のある方は読んでみてください。『二つの言葉』は、国書刊行会から出ている『エバ・ルーナのお話』という短編集に収録されています。

発売日 1995/07/04

判型 四六判   ISBN 978-4-336-03596-7

ページ数 322 頁