階段をいち、にー、さんと上るとき、「ぜろ」を数えないのは大人も子供も同じはず。階段とゼロ(あるいは無)にまつわる、個人的な思い出話です。(川津)

先日、ちょっとしたきっかけがあって、4、5才の子供たちが遊んでいるところに遭遇しました。自分にもこれくらいの頃があったなあとぼんやりしていたら、ふと、ある場面を思い出しました。

あれはたしか、幼稚園からの卒園を間近に控え、小学校への入学準備をしていた頃のことです。
もうすぐ小学校ということで、私は基本的な知識を先取りする勉強キットのようなものに取り組んでいました。そのとき開いていたのは算数の教本で、トピックは「ものの数え方」でした。服を1着、2着と数えたり、鉛筆を1本、2本と数えたり、そんな物体の数え方をイラストを見ながら確認していくという、ごく一般的な内容の教材です。

私は、おおかた問題なくこなしていましたが、1つだけ、どうしても納得できないことがありました。階段の段数の数え方です。当時の私には、どうしても、階段の1段目が「2段目」にしか見えませんでした。常に地面から数えていたんですね。
勉強を見ていた母は、これが1段目であると指導します。しかし、私にとってはどう考えても2段目なのです。家に教材を持ち帰ってさんざん考えても、やっぱりこの段が2段目であるはず。なぜ大人は、こんな簡単なことが理解できないんだろう・・・。

これには母も手を焼いたと思われます。私は「なぜこれが1段目なの?」と繰り返し聞きました。ですが、とにかくこれが1段目なの、という回答しかもらえませんでした(まあ、そうでしょうが……)。
しかし、2だと思っているものを1だと人に言われただけで、心から納得できる人間がどれだけいるでしょう。私の中では、漠然とした根拠があっての「2段目」でした。しかし、当時はその根拠を言い表す語彙も言語力もなかったうえ、人に自分の考えを説明する必要性にすら気づいていませんでした(だって実際の階段を想像すれば、誰だってわかるじゃない、と当時の私なら言うでしょう)。私は抗議のためにメソメソ泣きました。

結局、私は最後まで納得しませんでした。しかし、これは2段目ではなく1段目だという母の主張も(当たり前ですが)まったく覆らなかったため、仕方なくその場では「そういうこと」にして、渋々頷いて次のページに進みました。そして、この疑問はだんだんと生活に埋もれていきました。

さて、この騒ぎは何だったのでしょう。せっかくなので、数十年ぶりに再考してみたところ、意外にも謎が解けたのです。そこで、同じ疑問を持つどこかの小さな人たちのため、答えをひっそりとここに記しておきます。

当時の私の思考を理解するための手がかりは、2つ存在します。

1つ目は、「階段」の定義です。
私たちにとって、階段とは何でしょうか。
少なくとも、あの頃の私にとって、「階段」とは「立体」ではなく「面」でした。
階段とは何か。足で踏んで、上るものです。ほら、使用するのは階段の上の「面」だけですよね。だから「面」だけ認識しておけば、何も困ることはなかったんです。
もちろん、この見方はただの子供の錯覚です。面だけあったって、人の体重を支える耐久力や反作用がなければ、お話になりませんものね。
ですが、子供の私の世界(つまり、重力やら、力学やら、耐荷重性といった概念が存在しない世界)ではどうでしょう。階段の各段にいちいちくっついている垂直な「壁」や、見えも触れもしない階段の「中身」なんて、考慮に入れる必要があるでしょうか。
とにかく「面」があればいいんです。それがないと上の階に到達できないじゃないですか。だから、階段は「面」。これが1つ目の手がかりです。

2つ目は、ゼロ(無)という概念の有無です。
ゼロという概念が、今の日本でいつ子供たちに教えられるのかは、正直存じ上げません。もしかしたら幼稚園児でも、「ゼロってなあに」と聞かれたら、何もないこと、と解答するくらいはできるかもしれません。
ですが、現実世界の中に「ゼロ」は存在するでしょうか。それを体感することはできるでしょうか。
おそらく、当時の私は、ゼロや無という概念を、まだ持っていなかったのです。ところが、感覚として、「何かと何かの間」という概念ならありました。
その結果、「間を空けて直線に並ぶもの」には必ず両端が必要だという、まるで植木算のような暗黙の前提が脳裏に構築されていました。想像してみてください、物体が間を空けて直線に並んでいる場面を。そしてその片方の端を、ふと取り去ったとしましょう。そこに残される、かつて「間」だった空間は、もはや何かと何かの「間」とは言えません。人がこれを認識するには、「無」またはそれに類似する抽象的な概念がどうしても必要なのですが、子供の私は「無」を知りませんでした。これが2つ目の手がかりです。

「無」を知らなかった当時の私は、1段目(面)と地面の間の使途不明な部分を、他の段と同じように「間」として処理するしかなかったのです。だから、地面を数えに入れたのです。こうすれば、ちゃんと「両端」は揃うし、使途不明部分もすべて「間」として処理できて、一切合切が綺麗に収まってくれたのでした。
また、特に屋内では、上階の床も下階の床も同じ色/同じ素材であることが多く、視覚的な矛盾が生じづらかったという点も、この件の原因の1つだったことでしょう。

さて、これで騒ぎの原因が明らかになりましたが、今の自分からこのときの私に適切な指導ができるかと問われれば、できないと答えざるを得ません。当時の私にこれを理解できる力があったとは思えませんし、先にも述べたとおり、面だと思っているものを立体ですと言われてホイホイ納得できる子供ではありませんでした。
それにしても、どこでどうやってこの疑問に折り合いを付けたのやら、すっかり忘れてしまいました。子供の成長とは本当に不思議なものですね。自分のことですが。

最後に、昔の私と同じ悩みを持っているかもしれない小さい人たちへ向けて、一言だけ囁いておきます。
とりあえず、テストのときだけ、そう数えておきなさい」と……。
ときにはそうして急場を凌ぐことも、人生には必要なのです。